本音を言うならば
今週のお題「忘れたいこと」
今までの人生で嫌だった事は沢山ある。
相対的評価を得るためやイジメのターゲットから逃れるために貶める対象として選ばれるような事があったし、上層部からの評価を得るために私の行動・志向をコントロールしようとして ひたすら侮辱を繰り返された事もある。(今、それが原因で長いこと休みを取っている。)
貶める対象に選ばれた主な原因の1つには私の社交性の低さにあったのだろう。『〇〇ちゃんに✕✕って言われた。』と告げ口する対象が私には極端に少なかった。
悪口を言った相手の抱えるコンプレックスについては私にはどうしようもない問題だ。
そして欲しい言葉をもらうために安易に人を傷つける方法をとる人の倫理感についても同様で、本人が気付いて努力をする事を選ばなければ身に付くものでもない。(深い改心が必要になる)
もしかしたらだが、可能性の1つに「私がなにがしかのコンプレックスを刺激した」というのがあるかもしれないが、そうだとしても『小西川ちゃんより私の方が脚が長いのに、何で背の順が逆なの?』(⇐私の目の前で担任教師に聞いた質問)と言われた事はただの侮辱だし、客観的に見てただの事実だ。その上、当時の私には脚の長さによる審美的な優越という価値観を持ち合わせていなかったので、もし彼女に『小西川を傷つけよう』という意図があったのだとしたら、その点では失敗している。今としても『事実を言われた』だけなのだが、その侮辱的な問いに対して『小西川は胴が長いんだよ』と返したやたらお目出度い感じの名前の元担任教師(もう現役ではない)については『もう少し何か他の言い方はなかったのかね?』という軽めの恨みが未だにある。
ただ、周囲の人間関係に興味がなく生きていたので、本当の理由についてはさっぱり分からない。
いずれにしてもそういう負の遺産のような出来事は全て私の中では【反面教師】としているので、「忘れたいこと」と言うよりは「起こらなければ良かったこと」という事になる。
恐らくそれらの出来事がなければ、もう少しくらいは明るい女として生きていけたんじゃないかと思う。(子ども時代に比べると本当に卑屈になってしまった気がする。)
私の「忘れたいこと」は私が「忘れていたこと」だ。
それは子どもの頃に母に首を絞められたことだ。(死んでしまう前に母の頭に上った血が下がってよかったと本当に思う)
母自身はすっかり忘れてしまっているし、私としても長らく忘れていたのだが、自分と向き合う日々を過ごすなかで思い出してしまった。
忘れなければ、その後の人生をまともにはやっていけなくなるような出来事だった事を思うと、忘れていたのは当然の事だったのだろう。そして今の私には受け入れる準備が出来た…そういう事なのかもしれない。
私の中で親を許すとか許さないとかについては未だに結論が出ない問題だ。
自分が親になって理解した事柄も確かにあるが、あれは起きていい出来事ではなかった。
父にも母にもそして私にも原因があったのだろうが、1番は安易に暴力という手段をとってしまった母の弱さなのだろう。
そして弱さとは経験という面での弱さを多分に含んでいる。彼らは彼らの両親が死ぬまで、自身の子供達よりも親を見つめていた。
『親に褒めてもらいたい、言葉がなくても立派だと思ってもらいたい。』そういう気持ちが溢れていた。言わなくても分かる程にである。
子供も愛していたのかもしれないけど、伝わるような愛し方ではなかった。
そして彼らも子供の時には自分の親にそう思っていたんだろう。
子供の育て方など分からないまま、自分の親に褒められるような子供にしようとしていたのだろうと思う。
そのせいで私はまさに今、子育てに苦労している。
一般的に見れば、忘れたいことは多い部類に入る人間だが、ほとんどの事を忘れずにこれからの人生に活かしたいと思っている。