今日のところは…

気持ちの整理のためほぼ本音で書きます。あくまで個人の見解であるため特定の個人や団体を否定するものではありません。乱文 失礼します。

久しぶりに『もののけ姫』見たな…

金曜ロードショーで『もののけ姫』を見た。
20年ぶりくらいになるだろうか。
若かった当時は漠然とした印象しか持ち合わせていなかったが、ジブリの中で一番好きだった作品だ。


主人公アシタカは襲われた村を救うためタタリ神を矢で射殺し呪いを受けた。やがて死に至る強い呪いだ。
タタリ神は西の国からやって来た。呪われる謂れのない不条理な呪いを受けてしまったアシタカは旅に出る事となる。

やがてタタラ場に辿り着いたアシタカは山の主ナゴの守をタタリ神にした原因のエボシと出会う。
エボシは人望のある村のリーダーだ。売られた娘を引取り、難病の者を手当てし そばに置き 仕事を与える。
どう生きていけば人にとって良いかを考えて行動している。
しかしあくまで人間本位での話だ。

獣達から見る人間は自然破壊の象徴だ。タタラ場はナゴの守から奪った山を切り開き出来た村だ。その際の戦闘によりナゴの守は鉄砲で撃たれ、後にタタリ神となった。その後もシシ神の首を狙うエボシにアシタカは問う「森とタタラ場 双方 生きる道はないのか」と。
とばっちりで受けた呪いの原因を前にして、どうしてそう強くいられるのか…まさに今、日に日に強くなる呪いに苦しんでいる最中であるというのに。

暴力でしかはね除けられないものというのは確かに存在する。聞く耳を持たない相手が暴力を行使してきた場合などである。
しかし暴力は恨みや憎しみを生み出してもしまう。
私はまだ憎しみの呪いの中にいる。
憎しみの連鎖を絶つ事を誓いはしたが、苦しみは未だに去らない。

タタラ場の長は「生きる事はまことに苦しく辛い。世を呪い 人を呪い それでも生きたい。」と言った。
タタラ場の住民であるトキは燃えていくタタラ場を見て「全部終わりだ」と言う夫:甲六に「生きてりゃなんとかなる」と言う。
私が『なんとか』なるまでには まだ時間がかかりそうだ。まだまだ苦しむ日が続きそうだが、それでも私には自死の選択肢はない。

アシタカは誰の味方でもなく、救いたいと思うものを救う。
理想論に過ぎないかもしれないし、理想を語るだけで生きていく事は出来ないが、出来ることをし続ける事で何かがいい方に変わればいいなと願う。

サンと山犬モロの一族の絆に感動した事にも触れておこう。
種族の違う人間のサンを娘として庇うモロ、兄弟として接する子犬達、血は水より濃いなどという ことわざ を思い出して少し笑った。
「共に過ごす時間の方が遥かに上回る…」とそう思った。

自分の家族の事については、まだ上手く文章化出来る自信がないので、ここまでにしておこうと思う。