今日のところは…

気持ちの整理のためほぼ本音で書きます。あくまで個人の見解であるため特定の個人や団体を否定するものではありません。乱文 失礼します。

2021/11/29

頭の中というか心の中というか…整理が進んでいるはずなのに、症状はなかなか良くなってくれない。
明らかに意思と反する体の悲鳴を聞き続けるような現在の生活それ自体が心に重石をのせているようで、未だに自分が負のスパイラルの中にいる事を否応なしに自覚させる。

先日 子どもを遊ばせようと思って連れていった公園でかつての同僚と出くわしてしまった。
話の流れにのって、言わなくてもいい事を言ってしまった事が悔やまれる。勿論、悔やんだところでどうしようもないと分かってはいる。予定にもない次だが、『次 気をつけよう』と締めくくるしかない。

数日後には母も急に自宅へやって来た。3時間弱の滞在中に姉弟や甥の話をし、合間に私を心配するような話が入った。『この人は自分が私にした事が分かっていないんだな…』と改めて実感させられた。未だに幼き日のかつての私が母に殴られ、父に否定されて泣きながら夢から覚める事があるというのに…
時代にそぐわない根性論的な表現でどうなのか…と思うが、他の表現が思い浮かばないのであえて病気に至った原因の1つを"心の弱さ"と表した時、私の心の弱さの要因には家族という背景がある。

どうにもならないから放っておいた私の背景は、そのまま職場の人達に通ずるものがある。
家族も含め他の人の事はどうにもならない。
コントロールしようとしたり実際したとしても、それはあくまでも表面的なものでしかない。
ここ数ヵ月、本を読み漁り続け、得た1つの結論はそれだった。(まだまだ読み続けるつもりです。)

大事なのは自分がどう在るかなのだ。
元の在り方を執拗に否定する事で壊されてしまったため、再度 探す羽目になってしまい、横道にそれてしまった事に気付けず、ずっと迷子の状態だった。
でも、元の在り方のままでも別にいいのかもしれない…と、ふと思い至った。本当に今、書いていてそう思ったのだ。

長い時間をかけて自分の性格と社会生活を照らし合わせて決めた自身の在り方は、1人の上司以外には否定されていない。基本部分を変える必要はなくて、応用を効かせられるようになれば良いのじゃないか…と。
"前回 駄目だったから"という理由で、ゼロベースでやり直しにさせてしまったため、途方もないような課題を突きつけられた気持ちになっていたが、オプションをつければいいだけの話ならば残りの休職期間中に何とかなる可能性もあるのではないか…と。
そこに思い至れた。その事を今日は喜ぼうと思う。
まだ心音がうるさく、息は苦しいけれど、気持ち的に一歩 踏み出せた気がする。

半年以上も自分が自分自身を否定していた事にやっと気づいた。
長い時間 離れて、もう恨みも消えたか…と思っていたのに、まだ一部コントロールされていた部分があった事には恐怖を感じるけれど。