今日のところは…

気持ちの整理のためほぼ本音で書きます。あくまで個人の見解であるため特定の個人や団体を否定するものではありません。乱文 失礼します。

お題と言うよりは思い出の喚起

今週のお題「秋の歌」


『秋の歌…童謡以外に思いつかないな~』と思って、童謡について何か感慨深い想いもないので、放置しておいた今週のお題
もう11月だが、ふと RADWIMPS(以下RADと省略)の『セプテンバーさん』を思い出した。(ここから先は思いっきりお題からそれます。)

RADを好きだった頃と元カレと付き合った時期は結構 重なっていて、その人とは なんとも言えないような嫌~な別れ方をしたからだろうか、関係するもの・思い出しそうなものを無意識に排除した生活をしていた。
その後 他の人と結婚をしたし、子どももいるし、その人に対する執着とか未練はないけれど、当時その人の話を聞いてもらった友人達の言葉は今も私の中に残っている。

確かに浮気をされたところから始まった別れなら、相手を責めるようになるのは分からなくもない。嘘をついていつまでも二股をかけられていたのは私にとって ものすごい嫌な経験だった。
でもその人自体が嫌な人だったというわけではない。一緒にいると楽しい…そういう気持ちから付き合いが始まったし、何しろ4年近く続いた関係だった。

重ねて言うが、その人に対する未練は一切ない。
ただ、友人達は(もちろん私の気持ちを汲んでくれての事とは思うが)自分の事でもないのに、そんなにはよく知らないはずの私の元カレを批難し続け、「そんなに悪い人じゃない…」という私の言葉を「小西川(←私です)は優しいから…」という一言で片付けた。私はその時に別れとは別のモヤを心に抱えてしまったのだ。

終わり方が悪かった関係は何故その人の最終評価にされてしまうのだろう?
何故その前の良い思い出は『なかった事』にされてしまうのだろうか?
私の中の元カレの最終評価は『良いところもあったけど、ズルいところもあった。決断力が足らない小心者なところがある』である。(今どうなっているかは分からないけど)
具体的には書かないが、グズグズと引き延ばした挙げ句に逃げたので、そういう結論しか出せなかった。

そんなわけで、RADを聴かなくなって久しいです。10年位聴いていません。
今は病気で気持ちが落ちているのもあって、書いて気持ちが少し整理出来たはずなのに、特に聴きたい気持ちは出てこない。
元気になったらまた聴きたくなるだろうか…?
その日が来るのを待つこととします。